発車のベルは自分のタイミングでいつでも鳴らすことができる。 こころを決めたら出発だ。
白馬のおうじさまが、 白髪のおじいさまになるまで一緒にいられたら。 そこが本当のハッピーエンドよ、おひめさま。
言葉にできない直感にも、きちんと言葉にできる理由がある。 ただ言葉になるより先に、こころが確信を得ただけの話。 疑うな。
最近の座右の銘は 「四の五の考えている間に身体を動かせ」。 やらずに後悔よりもやって後悔。 本望、本望。
自分はこれから花を咲かせられる。 いくつになってもそんな希望を持ち続ける図々しさが大器晩成の秘訣。 ※努力精進は忘れずに。
叱られたり、怒られたりする度にベソかきながら 「おかあさんだいすきー!」と叫ぶ子供は色々悟ってる。
それっぽい答えを聞きたいんじゃない。 無骨でも破綻していても何でもいいから、 自分なりの答えを聞かせて欲しいんだ。
たまにルネ・マグリットの絵の中へ逃げ込んでしまいたい時がある。
悲しみを無理に忘れなくてもいい。 その上に喜びの花をたくさん咲かせよう。 たくさん、たくさん。
欲求に翻弄される辛さ<欲求が無くなってしまう辛さ 上手に付き合ってゆこう。
明日や未来が信じられないわけじゃない。 でもその不確かさが身に染みてるから、 迷った時は「今しかない」って走り出すんだ。
口を閉ざし無言で想いを隠すことはあっても、 適当な言葉で誤魔化し隠すことはするもんじゃない。
理屈ではわからなくても、 こころが良いと感じたならば、 それはこころが「わかった」証。
見せていないつもりの背中も、 子供はしっかり見ている。
前は=(イコール)で結ばれる清々しさが好きだったけれど、 今は≒(ニアリーイコール)が結んでくれるやさしさが好き。
本の中に何もかもがあるなんてことを期待しないで。
来た道を振り返るのは、年に一度で十分です。
「自分探しの旅」から生還した人はいない。 誰しもみんな、今わの際まで旅の途上。
不安の種はしょっちゅう芽吹くけれど、 こころのハサミでいくらでも刈り取れる。
自分自身に対してこそ、 背筋を伸ばして向き合うこと。
みんな軽やかに嘘をついている。 それをお互い緩やかに赦し合う渡世術。 いつまで続けるのだろうか。
自分自身の謎を解き明かせるのは、 自分以外のほかにいない。
失敗して学ぶことができるのも今のうち。 そう思えば、少しは怖くなくなるよ。
誰もに受け入れてもらえなくてもかまわない。 誰かに受け入れてもらえたら、 それで十分満たされるから。
どんな時も、何が起きても、 最後は子供を抱きしめるのが親のつとめと心得る。
どちらでいくか迷ったときは、ていねいなやり方でいこう。
目に見えているものはきっと、 月の表っかわ半分もない。 そう思うくらいで多分、ちょうどいい。
こころが出会ったものごとを、 カツンと跳ね返すでなく、 ごくんと飲み込むでもなく、 ふんわりと受け止められるようになりたいです。
いつ終わるやも知れぬ人生。 たまに一休みする時はあってもな、 ただ待っとるだけの時間なんてありゃあせんのよ。
準備が整わなくても、こころだけは決めておけ。 いつでも駆け出せるように。